桃色タイフーン
いやなものに出会った。

廊下の隅でいじけているでかい物体が視界に入った瞬間、アーニャはそう思った。
本能の命じた通り、そのまま回れ右したが残念なことに、それに気付かれて暗く名を呼ばれた。
尚も無視して一歩踏み出すと、左腕に軽い重みと共に二度目の自分の名。
気付かないふりをして更に足を動かそうとするものの、動かない。
これみよがしに溜め息を吐いて、腹を括って視線を左へとやると。

「…ジノ」

呆れたような声色になってしまったのは仕方ない。
実際に呆れているのだから。
太陽のように笑っている男が、どよんと重たい空気を纏っている。
ところにより一時雨かもしれない。
天気予報士ではないけれど、現状をそう判断してみる。
それにしても、どうして彼は自分を巻き込むのだろう。
でもそれも嫌じゃない。
呆れたのは、そんな自分に対してかもしれない。

考えに没頭していて反応のないアーニャを嘆いて、ジノがその場にしゃがみ込む。
天下の往来で、邪魔。
流石に口には出さなかったけれど、視線で告げると、縋るように上目遣いで見上げてきた。
取り敢えず、シャッターを切って、記録を増やしてみる。

そうして、ジノが話すのを辛抱して待っていると。
やっと彼が口を開いた。

「スザクと喧嘩した」

この世の終わりのような顔をして告げた内容は、アーニャにとって馬鹿馬鹿しいと思えるものだった。
だいたい激しいスキンシップでめげずに構い倒すジノと、気にも留めず受け流すスザクが喧嘩?…想像できない。
そもそも喧嘩したから何だというのか。
男同士なら喧嘩の1つや2つするものだろう。一般的なそれは。
生憎とアーニャは女であるのでよくは分からないが。

「それで?」
「それで、って!スザクと喧嘩しちゃったんだよ」
「だから?」

畳み掛けると押し黙ってしまったジノに、力無く垂れた耳が見えた。
しゅーん、としてしまったジノにこれ以上構っていられないと思ったアーニャは、縮こまっていたジノを立たせ、先導する。

「アーニャ?」

戸惑ったように名を呼ぶジノを、一度だけ振り返る。
何で自分がこんなことを、と思わないでもないが、凹んだジノなんて見たくない。
どちらにしろ構われるのならば、いつもの温かいジノが良い。
ぐいぐい引っ張って前に進んでいくと、ジノはそれに従う。

「どこ行くんだ?」
「スザクのところ」
「えっ…!」

思わずだろう、身体をびくりと緊張させたのが掴んだ手から伝わって来た。
そして恐る恐るアーニャさん?と声が掛けられる。

「スザクと喧嘩したんだってば」
「だったら仲直りすれば良い」
「どんな顔して会ったら…」
「別にいつも通りで良い」
「嫌がられたらどうするんだよ」
「大丈夫」
「何で言い切れる」
「これ以上嫌がられる方が難しい」
「ひっでー」

渋るジノを宥めながら歩みを進めていくと、あっという間にスザクの自室へと辿り着いた。
ごくり、と唾を飲む音が斜め上から聞こえる。
ジノが緊張するところなど、滅多にない。

「記録」
「へ?」

カメラへと収めてから、ノックをする。
こちらを見ていたジノが前へ向き直し、背筋を伸ばしたのを視界の隅で捉えて。


「はい」
「スザク、入って良い?」
「アーニャ?」

声と共に扉が開き、スザクが姿を現した。
どうしたんだい、といつもと変わらない様子で。
対してジノはいつもと違ってその場から逃げ出してしまわないよう、必死で耐えている。
そんなジノは流石に可哀相で、連れて来た手前、アーニャは自分が場を仕切ることにした。

「スザク、ジノと喧嘩した?」
「えっ?」
「二人がぎすぎすすると悲しい」
「ちょっと待ってアーニャ!」
「なに」
「誰と誰が喧嘩したんだい?」

スザクとジノを順番に指差すと、先に指された方が首を傾げて。
途端、アーニャはばっとジノへと振り返った。
一体どういうことだとジノを見るアーニャを視界から外し、ジノはスザクへと詰め寄る。

「待てスザク、さっきのこと忘れたのかよ」
「さっき…?」
「…おい」
「あぁ!あれ喧嘩だったんだ」

含みを持たせた声音ではなく、心底驚いたと言いたげなスザクの様子に、アーニャは溜め息を吐く。
何この迷惑な二人。

「もう勝手にやってて」

言い置いて、くるりと背を向ける。
立ち去ろうとすると、慌てた二人の制止の声が掛かった。








2008/08/14
PAGE BACK